◆ご挨拶
◆企画への思い
ふとしたときに頭の中で唱える⾔葉がいくつかあって、そのひとつが「夢への渇望はいつも命懸けで、死はいつも隣り合わせだ」。当時、随分ハマっていた朝ドラ『半分、⻘い。』の考察記事を書いていたライター の藤原奈緒さんの⾔葉で、2018年10⽉6⽇のノートにメモしてある。
10年前、⾼校を卒業するときに、演劇部のコーチであり座付作家であった越智優さんが、演劇部員のわたしたちに贈ってくれた⾔葉は「⽣きていることにときどきびっくりしてください」だった。これも当時の⼿帳にメモしてある。
『夏芙蓉』は約20年前の作品ですが、現在も全国の⾼校演劇部で上演され続ける、高校演劇界隈ではよく知られた作品です。
『ふぶきのあした』は、2020年に越智さんが⾼校演劇部に書き下ろした作品です。わたしは越智優オタクなので、ほとんどの越智優作品を観てきていますが、コロナが流⾏してからは、愛媛に帰省し観劇することが許されず、『ふぶきのあした』は、⾼校⽣版のオリジナルキャストの上演を観ていません。それだけに、この脚本から漂ってくる、なんとも⾔えない不穏感・おかしみ・妙な説得⼒を⽬の前に⽴ち上げてみたいと思っています。
そして『ふぶきのあした』を初めて読んだとき、ぜひ『夏芙蓉』とセットで上演したいと思いました。
「この世界にいる限り、なんだって起こりうる。『絶対』や『永遠』なんてない。いや、でも、どこかにあるのかもしれない」という、諦めないし希望を胸に、座組みの皆さんと作品に向き合おうと思います。
最後に、⾼校演劇の現場では度々各地で上演されてきた『夏芙蓉』を『ふぶきのあした』とセットで上演することによって、まだ知らないどこかに連れていってもらえるのではないかと、いまはひとり、わくわくしています。
どうぞ、お付き合いくださいますと幸いです。
◆わたしが劇作家・越智優の作品と「演劇」にこだわる理由について
2009年、私は愛媛県の公立高校の演劇部員だった。その演劇部には、顧問の曽我部マコト先生とは別に、座付き作家兼コーチがいた。それが越智優である。彼は2000年頃から、彼の恩師でもある曽我部マコト先生のいる演劇部に作品を書き下ろしはじめ、以来、約20年ものあいだ、生徒に作品を書き続けている。
私が知る限りでも、才能のある劇作家は沢山いる。面白い演劇も沢山ある。でも、私にとって、劇作家・越智優と彼にまつわる作品はどうしたって特別だ。
私がまだ高校の演劇部員であった2009年、当時の演劇部には実生活に重たい問題を抱える人がいた。あまり経験のないことで、その人にどう接したらいいのか迷いながら部活に行っていた。そんなとき、越智さんはこれでもかと笑いどころを盛り込んだ『さよなら小宮くん』というコメディを書き上げて、部室に現れた。演劇部は毎日放課後、そのコメディに取り組んだ。越智優とは、そういう人だ。
問題を抱えるその人は、放課後の束の間、部室に現れては、大笑いして帰っていった。私はそのころ、その人を笑わせたいがために演劇をやっていた。
私はいま、故郷の愛媛を離れて、東京で演劇をやっている。同級生や先輩・後輩で、演劇を続けている人はほとんどいなくなった。
ときどき考える。どうして私はまだ演劇を続けているのだろう。わざわざ演劇をやらなくても、人生の喜びは、日々の生活のなかに十分あるのではないだろうか。
それでも、おそらくあの頃の「その人」や、少なくとも私自身がそうであったように、「演劇」からしか得られないエネルギーがあるはずだ。スマホからでも名作が鑑賞できる今の時代に、私がわざわざ劇場に足を運ぶのは、演劇の力を性懲りもなく信じているからだ。
私は、自分にとって特別な越智優さんの作品を、演劇の現場で創作し、できるかぎりたくさんの、自分と似たような気持ちの人・まったく違う人たちとも共有して、いろんな話をしたい。
高校時代に演劇をしていたときと、根底に流れる気持ちはあまり変わっていないけれど、見えてくる景色は大きく変わった。私はどうしようもなく、この社会に属していて、そのことを無視できない。それならば、自分から外に向かって身体をひらいて、いまここで私が顔を合わせることのできる人たち以外に、もっといろいろな人たちと繋がりながら、知らない景色を観に行きたい。意思のある演劇には、その力があるはずだ。
2022年3月 演劇ユニットくじら座なごや 主宰 利藤早紀